不登校・通信制高校の体験談:いじめを克服してWebデザイナーの道へ

不登校になる前の私:内向的でも自己肯定感の高かった時期
元々は内向的な性格で人見知りもする私でしたが、小学校時代は比較的学校生活をうまく送れていました。特に小学校5・6年生の時の担任はとても良い先生で、クラスの雰囲気も良く、少しずつ明るい性格になり、自己主張もできるようになっていました。男女分け隔てなく交友関係を築け、自己肯定感も高かったです。勉強面でも5年生頃から成績が上がり、苦手だった算数でも100点を取ることもありました。
中学校でのいじめ:環境の変化がもたらした苦痛
中学校に入学すると、元の小学校のクラスメートに加え、隣町からの生徒も合流し、40人がぎゅうぎゅう詰めの教室環境となりました。人見知りな私にとって、この環境変化は大きなストレスとなり、1年生の夏休み前から体調を崩すようになりました。
ストレスから過敏性腸症候群を発症し、授業中のトイレ使用や体臭を理由にからかわれるようになりました。すれ違う時に「くせぇ~!」と鼻をつまむ男子もおり、精神的に大きなダメージを受けていました。
不登校を決断した理由:居場所のない教室での苦しみ
不登校になったきっかけは、体臭に関する陰口といじめ、そして小学校時代の友人までもが距離を置くようになったことでした。「このクラスに私の居場所はない」と感じるようになり、教室にいるだけで気持ちが張り裂けそうになるほど辛かったのです。
心療内科で心の薬と腸の薬を処方されても症状は改善せず、精神的にも肉体的にも限界を感じていました。
不登校期間中の心の変化:安堵感から不安、そして成長へ
不登校になった当初は「学校に行かなくていい」という安心感でホッとしていましたが、時間の経過とともに勉強の遅れや社会的孤立への不安が大きくなっていきました。日中は家族が学校や仕事で不在のため、1人で過ごす時間が長く、インターネットで同じ病気や不登校の経験者とつながることで孤独を紛らわせていました。
家族のサポート:理解ある対応が支えに
父親は不登校を全面的に理解し、学校を休むことや行事の欠席についても批判することなく受け入れてくれました。「土日は休みなんだから、みんなも学校休みだし普通に遊んだりしていいんだよ」という父の言葉に救われました。当時の私は「不登校=怠け者」という自己否定感から、休日も休むことに罪悪感を感じていましたので、この言葉は大きな支えとなりました。
母親も最初は「学校に行きなさい」とは言わなかったことが救いでした。弟も私のことについて学校でからかわれていたようですが、私に対しては普通に接してくれ、そのことに感謝しています。
周囲の対応で辛かったこと:無理解と過度な配慮
一方で辛かったのは、祖父母の過度な気遣いや、毎日交代で家庭訪問してくる担任と副担任の存在でした。特に先生の訪問は学校生活の不快な記憶を思い出させるため、あまり歓迎できませんでした。
また、不登校期間が長引くにつれ、最初は理解を示していた母親も次第に情緒不安定になり、「朝がくるたびに今日は学校行ってくれるかなと思うのが辛い」「家で勉強していても学校に行かないと意味がない」など、当時の私には厳しい言葉を言うようになりました。味方だと思っていた家族からの否定は特に心を傷つけるものでした。
別室登校の経験:学校側の不十分な対応
学校側の対応には満足できるものがありませんでした。別室登校を勧められましたが、保健室は体調不良や怪我の生徒のための場所だという理由で使用を断られました。一時は空き教室で過ごしていましたが、長時間1人で過ごすだけでは家にいる方が良いと感じ、さらには「本当の病気で学校に来られない生徒のための教室」という言葉に傷つき、最終的に完全な不登校に戻りました。
外の世界へ踏み出すきっかけ:ネット友達の存在
不登校から一歩踏み出すきっかけになったのは、インターネットを通じて知り合った同じ過敏性腸症候群を持つ1学年上の女の子の存在でした。彼女は学校に通いながら好きなアーティストのライブのためにアルバイトをするなど、前向きに生きている姿が私に良い影響を与えてくれました。
ネット上の交流を通じて「私も何かできるはず」という思いや、いじめてきた相手を見返したいという気持ちが芽生え、少しずつ強くなっていきました。長い時間家で過ごし、自分と向き合う中で心が成長していたのです。また、家族の心配を取り除きたいという思いも大きな動機となりました。
高校進学とその後の挫折:通信制高校への道
高校は地元の学校で両親の母校を選びましたが、毎日通学できる自信はなく、不安が大きかったです。結局、入学してすぐに行けなくなってしまい、両親に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。このまま中退するのは悔しい気持ちもありましたが、それ以上に学校に行くことへの恐怖が強かったのです。
通信制高校での新たな出発:年1回のスクーリングと柔軟な学び
その後、将来のためにも高校卒業資格を得たいという思いから、通信制高校への入学を決めました。選んだのは熊本県の御所浦という島にある学校で、スクーリング(対面授業)が年に1回1週間の合宿のみという、学校に行く機会が最小限の学校でした。普段はオンラインで授業を受け、課題を提出するスタイルで、私のような不登校経験者には適した環境でした。
イルカの生け簀がある珍しい学校だったことも、選んだポイントでした。日々の学習はオンライン授業で進め、課題も難しくなく、自分のペースで学べる環境が私に合っていました。試験も合宿中に行われ、事前に復習の機会もあったため、不合格になる生徒は少なかったです。
通信制高校での多様な人間関係:傷を持つ仲間たち
通信制高校では、年齢も住んでいる場所も様々な生徒が集まっていましたが、みんな何らかの理由でこの学校を選んだ経験を持っていたため、優しい雰囲気がありました。
最初のスクーリングで泣いてしまった時、先生が「ここの学校の子達はみんな傷ついてきてる子たちだから、先生は大好きだよ」と背中をさすってくれたことは、今でも心に残っています。勉強を教える先生だけでなく、生徒を支援する専門の先生もいて、生徒の心のケアに力を入れていた環境でした。
通信制高校中の社会経験:アルバイトという成長の場
通信制高校に通っていた頃、「このまま家にいてはだめだ」という思いから、地元のスーパーでレジ打ちのアルバイトを始めました。最初は声も小さく大人しかったため、注意されたりお客様からクレームを受けたりすることもありましたが、先輩方のフォローのおかげで高校3年間続けることができました。
アルバイト先では親世代の社員が多く、娘のように可愛がってもらえたことも大きな支えとなりました。働き始めてからも様々な悩みがありましたが、中学時代の辛い経験と比べると「あのときほど辛くはない」と思えることで、不思議と頑張れるようになりました。この辛い経験を乗り越えたという記憶が、私の自信につながっていると感じます。
通信制高校で得た気づき:視野の広がりと価値観の変化
通信制高校では、いじめで転校してきた生徒、妊娠で中退した後に復学した生徒、派手な外見の生徒など、多様な背景を持つ仲間と出会いました。彼らと話す中で、「自分の悩みってそんなに大したことじゃないのかな」と考えるようになりました。
学校と家という限られた世界では大きく見えた悩みも、社会の広い視点から見るとそれほど重大ではないことに気づき、世界が明るく見えるようになりました。
卒業後のキャリア:仕事での成長とWebデザインへの道
高校卒業後は地元の洋品店に就職しました。お客様として利用していた店だったこともあり、勇気を出して応募しました。先輩や店長に恵まれ、仕事も楽しくでき、性格も明るくなっていきました。同僚とは休日も遊ぶほど親しくなり、久しぶりにリアルな友人関係を築くことができました。
7年ほど働いた後、結婚を機に退職。2回の出産を経て事務職を3年ほど経験しましたが、子育てをしながらも自分のスキルと強みを持ちたいと思い、Webデザインの道に進むことを決めました。
Webデザインへの挑戦:オンラインスクールでの学び
全くの初心者からWebデザインを学ぶため、オンラインスクールの受講を決めました。1ヶ月の短期集中プログラムを終えた後も学びたいという意欲が湧き、現在は別のスクールも受講しています。二つ目のスクールでは講師がマンツーマンで指導してくれるため、メンター的な存在として大きな支えになっています。
書籍も講師の勧めで「なるほどデザイン」「けっきょく余白」などを購入し、日常生活の中でも商品パッケージや街中の看板などからデザインのヒントを得るよう心がけています。
仕事の獲得と営業活動:一歩ずつ進むキャリア
最初の仕事はスクールの案件で、広告バナー制作を担当しました。現在はクラウドソーシングサイトでのコンペ参加や出品を続けています。また、知人にデザイナーであることをアピールするためSNSでの発信や、子どもの通う保育園へのお便りやHP制作の営業なども行っています。
過去の経験と現在:不登校経験が形作った人生
振り返ると、いじめや不登校の経験がなければ違う人生があったかもしれませんが、この道を辿らなければ現在の職歴も友人も、家族も存在しなかったでしょう。結果的には良かったと感じており、後悔はしていません。
いじめや不登校を経験したからこそ、他者を傷つけることの深刻さを理解し、自分の子どもたちにも人を傷つけないよう教えていく決意があります。
不登校で悩む子どもたちへのメッセージ
今、学校に行けずに悩んでいる子どもたちへ。学校と家という小さな世界に閉じこもっていると、悩みがとても大きく感じられると思います。でも、外の世界に出て社会を知ることで、視野が広がります。世の中にはさまざまな人がいて、多様な考え方があることに気づくでしょう。
人生100年として考えると、学校に通う時間はたった12年です。今の辛い時期を乗り越えれば、新しい出会いや経験が待っています。無理に頑張る必要はなく、自分のペースで歩んでいってください。
保護者へのアドバイス:理解と普通の接し方が大切
お子さんのことを考えると不安だと思いますが、私自身が最も救われたのは、家族に理解され、普通に接してもらえたことでした。学校に行けないことは「負け」でも「逃げ」でもありません。頑張りすぎて疲れているだけなので、少し休息を与えてあげてください。
特別扱いではなく、普通に接することが大切です。学校だけが全てではなく、勉強はどこでもできますし、友達も社会人になれば新たにできます。この時期を親子で乗り越え、いつか「あんなこともあったね」と笑って話せる日が来ることを願っています。
まとめ:辛い経験が育てた強さと可能性
不登校という辛い経験は、当時は世界が終わったかのように感じられましたが、振り返ると人生の大切な転機となりました。通信制高校での多様な出会い、アルバイト経験を通じた社会性の獲得、そして今のWebデザインの仕事まで、全ての経験が私を形作っています。
辛い時期があったからこそ、小さな困難を乗り越える力や他者への共感力が育まれました。不登校は終わりではなく、新たな可能性の始まりなのかもしれません。あなたの人生も、今の困難を乗り越えた先に、きっと素晴らしい未来が待っています。
